覚悟を決める

土曜の朝、金曜の気持ちを引きずり気分は最悪だった。

そんな所にこれから遊ぶ予定だった友人からドタキャンの連絡。その連絡に「私って彼女にとって友達と思われてないのかもしれない」という妄想に苛まれ数時間悩んだ。

そして悩みまくって唐突に思った。「このままだと先週、先々週同様自宅に引きこもってダラダラしてるだけだ」と。

なので、外に出た。

いつもの駅へと行く道と反対のあまり行ったことのない道を歩いた。するとガストがあった。

自分の住んでいるところは住宅しかないと思ってた。だが家から20分のところにガストがあって遠くにユニクロや31アイスが見えた。私が知らないだけで自分は割とそれなりのところに住んでいたのだ。ここで暮らして5年目にしてそれを初めて知った。

そのままガストに入り、私にとっては衝撃的なこの出来事に驚いてそして嬉しくなった。

読んだことはないのだが「書を捨てよ、町に出よう」という本のタイトルの通りだった。

 

そんなピカピカのガストの中であたたかくて甘いココアを飲みながら考えた。

 

『これから私はどう生きたいのか?』

 

土曜の朝ブログを書いた後過去の記事も読み 改めて思っていた。私は回避と不安がミックスされたタチの愛着障害なんだと。

自分が暗い、暗くなる原因はやっと名前が判明した。それに対しての本や情報は溢れている。しかも調べてたら私オリジナルだと思ってた思考パターンはすでに誰かも持ってる症例パターンだったと。

じゃあどうする。改善できるらしいぞと。

改善できたら私はどう生きてく。

何がしたい。たった1人しかいない友人にしがみついてそれ以外の人達には親しくせず嫌われないように気を使いまくって閉じこもった世界で一生家族を恨んで生きていくのか。

 

ノーだ。

 

というわけで自分の目標を定めることにした。

 

・webかDTPか、とにかくpcを使った仕事に対して一生食っていけるためのスキルを持ちたい

・ドイツで暮らしたい

 

この2つである。

前者は自分にとって興味があって嫌いじゃない。これから自動的にでも身につけていくだろうし今以上にもっと磨かなくてはいけないもの。だったらもっと追求しようじゃないか。

後者はふっと湧いてきた。ドイツに行ったことはない。ドイツ語どころか英語も話せない。だが昔からドイツという国に興味があって、過去本気で留学したいとこっそりとドイツ語を勉強したりした。あの時はそれが親にバレて笑われながら全否定されたから断念した。

でも今はどうだろうか。もう親はほぼいないようなものだ。でも「ほぼ」だから向こうが年取った時にこっちを取り込もうとするだろう。その時私が海外にいたとしたら?

 

ということでこの2つを叶えるという覚悟を決めることにした。

回避性愛着障害の改善には飛び込んで行く覚悟が必要らしい。

うってつけじゃないか。

 

と、そうなると何の知識が必要か?

何をすればいいのか?

という事になる。

 

 

日曜は図書館に行くことにした。

すると日曜、ーー今日だかいつもダラダラ動かず散らかった部屋で一日が終わるのを待つ先週や先々週とは違って「出かけるから」という目的があったので朝から家事をテキパキできたのだ。気合も何も入れる事なく自然に。家事を全部こなして家を出たらまだ12時も回ってなかった。

来週から家でダラダラするのはやめようと思った。

 

図書館で 

  

という本が目に入ったので読んだ。

 

この本によると

不安遺伝子(先天的)×環境(後天的)によって性格が決定されると。


詰んだ

 

と思った。

 不安遺伝子を持った人の特徴がそのまま両親だった。なおかつ、数日前に読んだ↓の本によると

 

父親が回避性愛着障害、母親が不安性愛着障害の組み合わせ。

つまり、遺伝子的にも環境的にも私はこうなるべくしてこうなった人間だったのだ。

この本を読むまで環境が悪いだけだから、と思っていたが遺伝子までダメだったとは。逆になんかもうダメダメすぎて面白くなってきた。

つまり私はこれからすっごくがんばらないといけないのだ。

 

よしじゃあ面白いからやってみよう。

 

幸い私はアホでバカであった。これは親のお墨付きである。だからすごく面白くなってきた。

 

 

というわけで私はこれからとにかくたくさん本を読んで知識を得ないといけないのだ。

ダラダラしている暇もどうしようもない妄想で寝込む暇もないのだ。

書を持ちながら、町にでなければ。

 

帰り道、私も「〜しなければならない」「〜しないといけない」といううつ病になりやすい人がなる思考パターンを持ってる事にはたっと気づいた。

ないと、ないと…東京タラレバ娘よろしくじゃあ私は「”奈良ないと娘”か?」なんて浮かんで無いなと思った。

働くこと

突然だが内定を頂いた

色々あって、ありすぎてそれを経て職業訓練に行っているのだが、5月までということでぼちぼち就職活動をしなければと割と頭空っぽで就職活動に挑んだのだ。そしたら一発で内定を頂いてしまった。

「落ち着いていて優秀、未来に期待できそう」という理由だそうだ。

 

こっちとしては正直受かると思わなかったし、落ち着いてもない、自分に全く信用ができない。

それでもそう言われたら、と訓練を切り上げて働こうと思ったのだがここで「修了しないなんて(訓練校中退なんて)」と第三者から忠告が入る。

ああ、そう言われるならその方が正しいのだろう。私は頭が悪いから自分の決定は間違っているのだ。

 

なので辞退したい旨、コーディネーターさんに告げたところ「辞退できるわけないでしょう。就職で中退する事の何が悪いんですか」と言われ黙る。

 

私は、怖い。

働かないといけないことはわかっている。

わかっているのだが、私のことだからどうせすく職場の誰かと親しくなって色眼鏡で見て、勝手にそのひとの言動で頭がいっぱいになって勝手に病み始めて眠れなくなって、パフォーマンスが落ちて誰かに相談して「じゃあ辞めれば」という言葉に甘えて職場を辞めるのだ。

若しくは期待に応えようとしてミスを出して「自分はダメだ、やはり死ぬべきだ」と病んでやめるのだ。

 

文に書いて言葉にしたらなんと陳腐なことだろうか。

私は怖い。誰かと接するのが怖い。

どうせ私なんてという気持ちが強い。

全てはまぐれで偶然の産物、気のせい。

どうしてこんなにも自信が持てないのだろう。

精神科の先生に相談しても「そうですね」としか言ってくれない。ということは私はもうどうしようもない手のつけようもないバカなのだ。

スキルは良いのかもしれない。

でもメンタルが終わっているのだ。

 

人に認められたり良い言葉をかけられるとすぐ脳内で母親の声が聞こえる。

「お前は出来損ないのゴミクズ」

なんで生きてるんだろう。

 

 

 

 

やりたいこと(やるべき事ではない)

痩せたい

→みっともないから

→でもめんどくさい

→食べたいものが四六時中浮かんでる

→でも太るからしょうもないものを食べてる

→結果痩せない

 

ポートフィリオサイト作りたい

→就職に必要

→でもめんどくさい

→ややこしそうだしまず何かを作るのがめんどくさい

→どうせダサくてあの人がダメだしするクオリティのものしか作れない

 

借りてるデザインの本が読みたい

→自分にはデザインセンスがないのだから勉強するしかない

→めんどくさい 

→頭に入ってこない

 

嫌われる勇気を読んで性格を治したい

→めんどくさい

→頭に入ってこない

→ややこしい

→ああカレーが食べたいな

 

痩せたい

めんどくさい これに尽きる

さて私は現在無職である。

 

去年夏母親に一時間程自己否定され続け、頭の良い妹にゴミを見るような目で見られた。

初めての事ではない。何百回もあったことだ。

それでもそんな事で鬱になった。

27にしてなっさけない話である。

 

それから家族と2度目の縁切りをし、今ひとの勧めるままに職業訓練に通っている。

今日はサボった。

27して本当になっさけない話である。

 

学校は嫌ではなくむしろ好きなのである。

親しい人が嫌なのである。

どこの職場も私はいっつもこうなのである。

はじまって。目に付いた人間にすぐ太鼓持ち仕掛けて。とことん自分を卑下して相手を持ち上げ同意しまくって。舐められて。嫌になる。

単純明快、自分はアホである。

自分の思考パターンが悪いのはわかっているが正しいやり方がわからない。

『って夕飯を作ってくれた母親を褒めないと殴られたし。失敗してまずくても美味しい顔をしないと殴られたし。母親に褒められたことないから自分を卑下するワードしか浮かんで来ないしー』

と油断すると母親との事がすんなり沸いて来る。

 

今嫌でしょうがない人はそこをついてくる。

「嫌なら逃げてもいいのよ。私は社会的責任で毒親引き取ってるけどー」

ムーミン好きなの?ムーミンBOTでこういう事言ってたわよ。私は毒親引き取ってるけどー」

 

う る せ え

 

が言えない。すごいですねえ✨おべっか。

体調不良、お休み。

 

学校ではデザインの勉強をしているのだけれど

その人は自称プロでソフトに詳しくて実際仕事しててどこでも就職出来るけどこだわって仕事したいから就職しなくて 講師を言い負かしたいけど出来ないので私に愚痴愚痴言う。

私も中途半端に知識があるもんだから凝ったおべっかを言うが即否定される。

現場では

現場では

現場では

 

う る せ え

私その現場に居たんだよ。

と思いつつ言えない。

 

終いに 初めて使うソフトで四苦八苦している今私の現状に恥じるようになる。

自分が四苦八苦作ったものを確実に「もっとこうできるよ」「現場ではやっちゃダメだよ」「私なら」とダメだし食らう妄想が止まらなくなる。

 

言葉をありがたやーと受け止める器がない。

自慢にしか聞こえない

だから私は成長出来ない

だったら死ぬしかない

思考停止

 

解決策が浮かばない

初めてみる

暮らしの手帖の

「これは あなたの手帖です」

という文言は素敵だと思う。

なんだかホッとする。

<あなたの>

と相手が言ってくれる嬉しさ。

27、そんな言葉を掛けられた覚えがない。

 

日記を初めて見ることにした。

昔は息勇んで日記なり小説なりを書きまくって己の考えを出していたのに、何時からか億劫で仕方ない。

何か吐き出したい時用にTwitterを持っていたのにリアルの知り合いと流れでフォローしあったせいでもうTwitterも億劫だ。

 

しかし人付き合いが億劫すぎる。

相手が悪いのではなく自分がそこそこ悪いのはわかっている。日々「私が全部悪いんでしょ!死んだらみんな喜ぶんでしょ!」という被害妄想によく陥るが、冷静に考えると「私の性格もマァマァ悪い」のだ。本当に。

 

その被害妄想に陥るメカニズムは

⑴予防線

⑵めんどくさがり

⑶母親への呪詛

この3つで構成されている。

この被害妄想をどこかで吐露出来れば、

予防線張ったという安心感や誰かからの庇い、賞賛、同情等を得られるかもしれないが、私にはできない。

そういう事を言える友達や恋人、家族がいないのだ。

匿名掲示板に書く勇気もない。

自分だけの日記に書いたら感情がモロに繁栄されてて後で読んだら憐れだ。

 

ということではてなブログを使う事にした。尚有益なことは書けない。書ける訳ない。

 

つらつら書いていてネガティブだな、自分。と思うがこれが素なのだ。この素は批判の的だから表には出せない。

こういう文を線の細い黒髪の美少女が書いていたら「ほう……」となるかもしれないが、書いているのは垢抜けないオタクに見られたくない為茶髪にピアスにしてみたがそれでも垢抜けないデブである。

現実は非情なり。