凹んでいる
タイトルの通り凹んでいる。
本日も職業訓練だった。
授業は大詰め、今日はまる一日中自分でデザインしたwebページをコーティングという作業だった。
先週ちょうどindexページのコーティングが終わったので朝から先生に添削していただいたのだが、これがまあ、ボロボロ。paddingとmarginの違いを説明されるなどと本当に残念な結果に終わった。
個人的には、色々、授業で習ってないこともふんだんに盛り込んでかつスピーディーにコーティングできたと思ってたのだ。
正直に最初に先生に指摘された時は少しむくれていた。…むくれていたというかあーあー聞こえない、という状態とでもいおうか。
頭の中は言い訳でいっぱいで、それをグッとこらえた。
2回目の指摘は言い訳が堪えられず結果墓穴を掘った。
3回目は己でデザインしたくせにどうしてもうまく実装できないことがあって先生にヘルプを求めた。
なので今凹んでいる。
あわよくば、とすぐ脳に「お前は何もできないクズだ」「死ねばいいのに」という言葉が浮かんでくる。
「いやいや初心者ですし、半年前は全然知らなかったですし」と前向きになりたいのだが。
私は、内心他のクラスメイトを馬鹿にしているのだと思う。
クラスメイトのことを休みの日も予習なんかせずに、授業中先生の話を聞かずにアニメやゲームの趣味のサイトばっか見て検索すればすぐわかることを先生に質問していちいち授業止めてそのうえ「肩書きはwebデザイナーです☆」と平然と言ってる人たちだと思ってる。
私は違う。予習も復習もするし、webデザイナーで働くと決めたのだから色々情報収集して、デザインも色々考えて作って、わからないことあっても誰にも頼らず自分で調べまくって解決してきた。だから私は他の人たちとは違う。だから私に一目置いてくれ。すごいって言ってくれ。認めてくれ。
…そう思って毎日行ってたんだ多分。
学校だけじゃなくて今までも。
典型的な自己愛である。
が、現実はそうはいかないのである。
本当にすごい人とは違う、私は結局真面目系クズなのだ。
と、まあここまでつらつら内情を書いてみたが途中から本質が変わってる事に気付いていた。
先生はコーティングの内容に「先生」だから添削してくれて指摘してくれた。ただそれだけである。
そこには「怒鳴り声」も「罵倒」も「自己否定」もない。穏やかに、「注意」ですらなく「指摘」・「アドバイス」をしてくれて、修正したらまた見せてくださいと「再チャレンジの機会を与えてくれた」。
そもそもコーティングがダメだからって人生終わらないのである。
「間違ってた」それだけであり、その後は先生のアドバイスがあって「自力で90%は修正」できた。
別に、そんな、なんで、こんな、落ち込むの?
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今の自分はこの本に載っていた
『ちょっと仕事のことで指摘をしたただけなのに自己を否定されたと思い職場を辞める人』そのものである。
言い訳をしよう。
長年、私は特殊な環境にいた。
服が端まできっちり畳めなかったことや皿洗いをして水が床にちょっと濡れたとかいう小さな事ですら「お前は何もできない」と怒鳴られ、最悪殴られていた。そんな環境に23年間ずっといた。
だからちょっとしたことですら自己否定に走る。それが慣れ親しんだ自分の思考パターンである。
23年間もだ。そんな急に思考回路が変わるか。
だから今はこうやって自分の思考パターンをきちんと認識すること。
「まだ社会出る前でよかった」「先生が問題を問題とわかる先生でよかった(コーティング上の問題でありブラウザ上ではぱっと見わからないのだ。)」「先生しっかり解説してくれてよかった」などなとと良い方向に考えること。
明日はまた頑張ってトライするためにお風呂に入ったりすることしてコンディションを整えることである。
もう凹まない、と思う事は無理だろう。
ただ問題の本質を間違ってはいけない。
私はコーティングでちょっとつまづいた、それだけなのだ。
意識低いから高いに進化したい系
本日webセミナーに行ってきました
当たり前ですが意識高いひとたちの集まりでした。参加者みなさんフリーランスを目指されているようで…すげー…と話を聞いていた私です。
中には世界一周してきました!って人も夫婦で自転車で日本中回ってるって人もいたり、…10人以下のセミナーですよ…。すごい人はすごいんですね。
そんな私も「将来何をしたいですか?」と聞かれ「ドイツ行きたいです(^-^)」って言っちゃってぱっと見意識高い系ですね。具体的な視野は全く見えてないんですけれども。
今日のセミナーの要約は
「アルバイト・派遣で実務経験を積み」
「一年ごとに職場を変え」
「フリーランス☆」
・・・・ええ・・・・
そういう人生を送るには一体どんだけのコミュニティ能力がいるんだ。一回転生しないと無理じゃないか(*^◯^*)
で最後に「このスクールに通ったらあなたもフリーランス☆」という学校のcmで終わりましたさ。
無料より高いものはないっちゅうやつやね。
でも悔しい、その学校行きたいと思ったそんなセミナーでした。
とりあえずノートパソコンが欲しい、いや買わないとね。
その為にはお金を貯めないとね。
その為にはちゃんと働かないとね
でね、同時進行でドイツ語も学んでね、
かつ人脈も広げてね
10年後にはドイツに…☆
無謀じゃないですかねこれ。
でも今までだらけていたので一生に一度ぐらいは本気だしてもいいんじゃないですかね。
なんだか今ハイになってるだけで、明日は寝込んでる可能性も充分あるんですけどね。
だけど恋人も友人も家族すらろくにいないこの私の人生、どう生きたって心配してくれる人がいないっていうこの人生。
ならば自暴自棄に生きても明るい道に生きてもどっちでも他人は見てなァい☆何してもオッケー☆っていうのはある意味面白い人生なのかもしれないとポジティブになっておきます。
親友について
私には親友が一人だけいた。
「いた」。
ちょうど一週間前、親友と遊ぶ約束をして当日の朝に「昨夜寝てなくてめまいするから」という理由でドタキャンされた。
で、今日何気なく彼女のLINEのタイムラインを見て彼女が他の友人と毎週会ってたこと、彼女は私のことを「▲▲(とある作品名)の友達」と呼び、友達の友達を「親友」と呼んでいた事を知った。
お恥ずかしい話だが私は彼女の事を親友だと思っていた。なんども会って何時間も話して、年末年始も一緒に過ごして 明るい話も暗い話もなんでも話せた。なんでも気兼ねなく話せる「親友」だと思ってたのだ。
だけど、考えてみれば私が勧めたものを「興味ない」と拒否していたのに、その彼女の友人の鶴の一声で購入することになり「どうしよう」と彼女から相談されたりした。
前兆はあったのだ。
私は彼女の事を気遣って、気持ちを考えて付き合えていただろうか?
答えはノー。
いつだって私が私がと我を出していたと思う。
彼女は私がしんどかったんじゃないだろうか。
不安だから「自分の話ばっかりしちゃってない?」と何回も聞いた。それすら負担だったんじゃないだろうか。
この日記の文でもわかるように私は私が、私がと自己主張ばかりで誰かを気遣えない。気遣っているつもりでも多分気遣えてない。
だから彼女しか友人がいなかったのだ。
しかし、今日はもう2017年度の四月である。
昨日日記で宣言した通り私は変わりたい。
だから、以前の私だったら自己否定を極めて親を恨んで「親友じゃなかった」という事実から必死に目を逸らしていただろう。そして事実を忘れ何もなかったように彼女に接して彼女に辛い思いをさせていたに違いない。
でも変わりたいと決めたのだ。
「彼女のためにできることはなにか」
「私は今後人とどう関わったらいいか」
「彼女のような被害者を生まないために」
私が考える事はこれである。
【彼女のためにできること】
× この事実について彼女に問う
× LINEから彼女のアカウントを削除して自分が感情的になった時でも彼女に連絡を取れないようにする
この二点はダメだ。
彼女に気を使わせていらぬ労力をかけてしまう。
○こちらからの接触は控え彼女が気が向いた時には応える
これがベストなんじゃないかと思う。
私を▲▲友達と呼んでいるのだから、彼女が▲▲について話したい時に応える。彼女の親友は▲▲に詳しくないと聞いたことがある。だから私はその時だけ需要に応えたらいいのだ。そしてこちらはなにがあっても自分からアクションを起こさない。
だけどそれってすごくさみしい。
でもこれは「友達になるためにしなければいけないこと」をサボってきた結果である。
だから
【私は今後人とどう関わったら良いか】
何よりも自己を主張しすぎて相手を不快にさせないことである。
なぜ私は今まで自己を主張しすぎていたか?それは自分に自信がないからである。ややこしくいえば愛着障害の一環である。親からもらえるはずだった愛を他人から無理にもらおうとする。安易に愛を欲しいから自己アピールをしまくる。そんなの相手にとっては知ったこっちゃないのである。辟易されて当然だ。
だから。
自分への愛を自ら自分が発信し自己をできる限り肯定できるようにする。
愛を他人に求めないようにする。
そして他人にウエイトを掛けない。
むしろ相手に愛を求めるんじゃなくてプレゼントする感じで。
そうやって他人に接する。
それでいいんじゃないかと思う。
これから友人を増やしていくことも全然アリなんじゃないかと思う。今まで一極集中だったから。
ただそれってどうやって出会うん?お金もそんなないし、という問題があるので悩ましいところだ。
…こんな私でも良いっていう人連絡ください。…なんちゃってー。
とまあこんなことをつらつら風呂に入りながら悩んでいたのだが、状況が安藤裕子の「絵になるお話」の歌詞のまんまで笑った。
>迷子の私 笑って
>あはは うふふ おほほほ あは
あはは!
風呂を上がってテレビをつけたらめちゃくちゃ好きな芸能人がテレビに出ていた。そういえば今日食べたご飯はめちゃくちゃ美味しかったし、お風呂はいい温度だったし、好きな芸能人は消えることなく今日もテレビに出てくれているし、それらの為に発生するお金は自分で出している。
私はなんだかんだ幸せな環境にいるのだ。
気軽に話ができる誰かがちょっぴり欲しいけどね。
それなり日和
今日は昨日書いた通り一日PCと向き合って勉強していました。
まず「Adobe XD」
超分かり易い。
といっても「アートボードの追加の仕方がわからない!」なんて初歩的なことで検索しまくったりしましたけれど笑
イラレとインデザが使える人には分かればサクサクできると思いました。
試しに既存サイトをXD内で再現してみたんですが、本当に簡単にできました。
これが携帯でもリアルタイムでサクサク動かせたりするんでしょう?すごい時代ですわ…。Repeat Gridも本当に楽。
これからどんどん付き合っていきたいと思いました。
今後は有料になるんでしょうかね…。でも期待です。
次に「Bootstrap3」
…3です。
とりあえず昨日の続きを。
といってもほぼ一から作り直し。
昨日はTOP→Headerという変な作り方をしていたのでHeaderをカスタマイズしてみたり、またそのカスタマイズを受けてTOPをつくり直したり。
で結局昨日と同じTOPとHeaderを作りなおしただけという。。。
この後もaboutのブロック?部分、portfolioの要となる作品部分、そしてメールフォーム部分と作るとこがいっぱいですね。じわじわと直していきたいと思います。
で「Sass」
…Sassとコンパイラはインストールだけはしたんですけど、じゃあやるかと思った時に「いや何作ろう?」となったので、次回に回すことにしました(;´∀`)
いやねー僕
Web制作者のためのSassの教科書 これからのWebデザインの現場で必須のCSSメタ言語
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という本が欲しいんですけどねー、お金がないからねー、木曜日に図書館にリクエストしにいきましてねー。それが入ったらSass最優先でやりたいなー、…なんてね。
当面はBootstrapでportfolioサイトの作り直しですね。
その次は、既存ページの模倣でしょうか。
明日はwebのセミナーに行ってきます。
どんなものかわかりませんが、新しい知識を得られると思いますしとても楽しみです。
そんなwebまみれの一日でした。
あ、並行してネトフリでハチクロを一気見もしてましたよ。
明日から四月だよ
今日は朝からテレビやラジオで誰かが卒業とか異動とかそういうニュースをよく聞きました。
私の好きな「ならナビ」はアナウンサーさん変わらなくて何よりです。しかし私が四月でリアルタイム視聴を卒業しそうなんで録画しようか少し迷ってます。
ならナビの何が良いって、トップニュースが必ず寺社仏閣なんですよね。事件とか事故とかの悲惨なニュースなんて大概3つ目あたりにちょろっと流れるだけ。奈良のニュース番組なんでそりゃそうなんですけど。人間が一時の迷いで起こしたニュースなんか太古から続く出来事に比べたらほんの些細なもの、スパンが違うぜ!というメッセージを毎回受けます。いつかはドイツに住みたいけれど奈良は奈良で大好きです。なんだあの池とか思ったら西暦745年に作られたとかザラですからね。本当に。ならナビもそうですけど、よいしょよいしょに人の一生のちっぽけさを感じられてそういうのがなんか好きです。
今日は、昨日書いたbootstrapを触ってみました。
まだnavとtopまでしかやってませんが二時間かかりました。グリットについていまいち理解できてないし、デフォルトのクラスも何があるかわからない。でもたのしーです。
明日はsassでbootstrap4を試そうかと思ってます。いまいち3と4の差が分かっていないのですけれど。
しかしこういう最新の技術って誰がどうやって仕入れてくるのですかね。
それとブログなどで技術をもてあますことなくしっかりと発信してくれる人ってどういう生活をおくっていらっしゃるのでしょうね。
どうしたらそういう技術を知っている人と出会えたりするんでしょうね。
すごいなぁ。
講習セミナーなんかも行ってみたいんですが、ノートpc必須なのが多くて_(:3 」∠)_
あと大阪でもやってくれえ…
昨日そういえばラジオでカーペンダーズの『Top of the World』を聞きました。しかもDJの日本語同時訳付き笑
いや、びっくりしましたね。今までこの曲、サウンドオブミュージックのワンシーンに流れるような草原で高らかにラララなイメージだったのに、訳を聞いてそのイメージが一気にロッキーに…。
確かに言われてみたら、Top of the Worldって「世界の頂点」って意味やんけ。「あなたの愛を勝ち取った私は天下を取った」って武闘派やんけ。
カーペンダーズとかビートルズとかってもう英語の教材ってイメージがあって自分には一切縁の無いものだと思ってたので、乱暴な日本語訳を聞いて目から鱗でした。
縁がないっていうか私英語とか数学とかメジャーな教科に手を出してはいけないってずっと思ってたんですよねえ。妹がすごい頭が良い人間で、母親も頭の良い人でしたから、もう小学校高学年の頃には妹には敵わない、母親にも比べられて褒められることは一生ない、だから頑張っても無駄って思っていて。小さい頃妹が母親にビートルズのアルバムをねだってた事を今も覚えていて、あ、だから私は邦楽しか聞いてこなかったのかな、とかも考えたりして。
まぁその分邦楽聴きまくって立派な歌詞厨になり高校の国語の成績は良かった(もちろん母親から褒められませんでしたが)のでそれはそれとして良い、良いってことにしておいて。
で、話は戻りますが昨日聞いたTop of the Worldをはじめカーペンダーズが気になるんですよね。昨夜youtubeでTop of the Worldを改めて聞き直して単語が聞き取れる自分に我ながらビビったりして。歌詞の原文と訳を見比べてみてそんな思ったり難しく感じなかったりして。
昨日ラジオ聞くまで「ドイツに行きたいから英語も一応やっとこうかな、…挫折するんだろうな、嫌だなー…」って思ってた気持ちが「あれ意外とわかるかもしれない」って気持ちにやわやわと変わってきました。
明日から2017年度開始です。春です。
何かを始めるには良い季節です。
名曲に対しておこがましい話ですが今
《There is wonder in most everything I see(私の見るもの全てに驚きがあって)》
って気持ちそのものなんですよね。
だから、母親やら家族の事なんて関係ない「今の私」をはじめたい。
ちょっと踏み出す
昨日は職場見学に行ってきた。
行って正解だった。正解というかむちゃくちゃ行って良かった。
昨日の朝は思い上がったことを書いていたが、改めて考えてみれば、本来予定していなかった職場見学に応えてくれるなんてめちゃくちゃいい職場である。
で見学。行ってみたら 皆さん親切で、こちらの質問にもしっかり答えていただいて、環境も素敵だったし、なんていうか「わくわく」したのだ。職場に。
もちろん、まだなにもわからないからのちのち人間関係に悩むこともあるだろうが、とにかく昨日まで自分に取り付いていたもやもやがなくなった気がした。なんだか今朝は目覚めも良かった。
というわけで今日は前向きモードだ。
でさっきその気持ちに任せて買ってきてしまった。
「まいにちドイツ語」
「基礎英語2」
最近はradikoはおろか、NHK語学専用のラジオアプリがあって、本屋で見てなんか『いける』と思ってレジに行ってしまった。またタイミングも良い。四月からスタートだから。1年続けれるがわからないが、この「いける」という気持ちは覚えてたい。
そしていつかはドイツに行きたい。10年後には住んでたい。だからちょっと生きてたい。
言語だけではなく、webのことも知りたいことができた。今日、調べ物をしていたら偶然知ってしまったものがある。
「bootstrap」「sass」「Adobe XD」
…今日はじめて知った…。
本当に知らなかった…。
HTMLとCSSとwordpressでweb業界なんとかなると思ってた…。
なんていうか、奥深くて、とても楽しいなァ。
私はデザインよりはコーディングが好きなのだが、新たに学ぶことが出来てちょっと嬉しい。
とりあえず土曜日試してみようと思う。
興味があることなら私は強いのだ。
…多分。
時間が足りないなあ、精神と時の部屋に行きたいな、とちょっと浮かれてみる。
だからメンタルのせいで挫折しないことを願う。
不安である
なには兎も角不安である。
毎日職業訓練に通っているが、ここのところずっと行きたくない、眠っていたいという気持ちをなんとかなだめて通っている。
原因は不明。
で、本日は職場見学という名目で昼まで家に居れることになった。
念願のゆっくりできる朝を得たのだが、結局いつも通りの時間に起き特にすることもなくダラダラしている。しかもいつもより不安度がすごい。
それはもちろん昼から控えている職場見学も起因しているのだろう。
本来は予定なかった事態である。
先週金曜、お世話になっている社会福祉協議会の方から「訓練校中退なんて、修了してから就職すべき」といわれフラフラになった私はそのままお世話になる派遣会社の人に内定辞退したい旨を告げた。
で、先方から「今更辞退できません。そんなに不安なら職場見学の機会設けましょうか?」
…で、職場見学である。
ひどい話である。
申し訳なさすぎる。
こんなことなら焦って就職活動なんてしなくちゃよかった。もっと考えたらよかった。
そしたら社会福祉協議会にも派遣の担当さんにもそして内定先にも迷惑掛けなくて済んだのに。
でもまあぶっちゃけ、職場見学自体はそれなりにすんなり行くとは思うのだ。
私は本当に「真面目そう」ではあるので。
私はいつだって初対面の人には堂々と話せる。失敗したってもう二度と会わないから安心して話せるんだろう。
そしていつだって面接は受かるという気持ちで挑んでいない。期待したら落ちた時死ぬほど落ち込むから自衛としてそうなったんだろう。受かった時のことなんて考えていない。
職場見学自体は初めての体験だが向こうもこちらも「外向き」の態度で接するだろうからそれなりに問題なく事が進むのは目に見えている。
私はどうせ「真面目モード」になるのだから内定先取り消しになるような事もしないだろう。真面目モード中は頭はからっぽなのだ。ネガテイブなこともポジティブなことも考えない。ちゃんと取り繕うそれだけだ。
問題は、である。
職場見学の機会までわざわざ作ってやったのに入ったらどうだお前は、なんなんだお前は。
と内定先にも派遣会社の人にも思われる事が怖いのである。
与えられた業務をこなせるか?
社内の人間と関係をうまく保てるか?
無能なお荷物と成って見捨てられないか?
1日も休まず出勤できるのか?
すぐ根をあげて辞めないか?
…なにもかも不安である。
自分が自分を信用していない。
自分のスキルを信用していない。
自分の努力を信用していない。
だからどうせダメだろうと思ってる。
自分を褒めること
他人の評価を受け入れること
それが自己肯定につながるらしいが、
私の頭の中には「お前はどうしようもないゴミクズだ。産むんじゃなかった。」と常にメッセージを送ってくる母親の存在が強すぎて、もうそれがずっと続いていて「自分がゴミクズ」ということしか受け入れられないのだ。
なんとかしようと思うけれど咄嗟に母親は出てきてプラスをマイナスに変えてしまうし、
精神科の先生に相談しても「そうなんですねー」と言われるだけで他人にもたよれない。
救いようがないのだ。自分は。
ゴミクズだから周りにこれ以上迷惑をかけたくなくて自殺なんてできない。
頑張るしかないのだ。真面目モードを駆使して真面目に迷惑掛けないように全力以上の力を出して。
で、あっという間に限界がきて、辞める。
自分がゴミクズだ、産まれていけなかった、存在自体がマイナスで迷惑なのだ。
この自分自身に対するレッテルを剥がすことができれば人生はもっと楽なんだろうと思うのだが、本性が上の通りなので理性的をできるだけ維持しなければと思う。
アドラー心理学だと、どうしょうもなく自分をマイナスに思うのにも自分が決めたことだという。
だったら、自分をプラスに考えることだって可能じゃないか!という教えだ。
自分をプラスに思うと現実に打ちのめされるのではないか?今まで調子乗ったらすぐ失敗したじゃないか。
そしたら怖い。
迷惑上等、周囲に迷惑かけて生きて行く。
そんな気持ちになれたらいいのにな
これ以上考えるのは嫌だからここで打ち止め、死んでしまいたい。いつもそう思う。
とにかく不安である。
それそろ出かけないといけない時間だ。